経営者になると決めたのは、小学校4年生で10歳でした。きっかけは、まぎれもなく食品関連の会社経営者の叔父さんです。
当時住んでいた足立区竹ノ塚、駅前の東武ストアに叔父さんが仕事で来るというので、母親に使いに出されました。お客さんが多いとは言えないスーパーなので、小学生ながらに売上を心配して向かったのを今でも覚えてます。
魚のツミレ団子の試食販売をしていた叔父さんを見つけたときは、衝撃で今でも鮮明に覚えています。エンドで組んだ6尺(約1.8m)一本の売り台は、まさに叔父さんのオンステージで、啖呵切って集り(たかり) を作っている姿は、何しろかっこ良くて、憧れしか抱きませんでした。スーパー内には数人のお客さんしかいないのに、ほぼ全てのお客さんは叔父さんの虜になり、冷凍オープンのショーケースからは、商品がどんどんなくなっていきました。

 

時は経ち、自分もアルバイトができる歳になると、地獄の丁稚奉公が始まりました。しばらく経つとあの時の輝きの理由がじわじわと分かってきました。叔父さんは、何より商売の基本動作が全て一級です。江戸時代の商人から引き継がれた伝統的な売(バイ)の要素である声出し・啖呵の切り方・当たりのかまし方・呼び込み・抑え・タカリの作り方・落とし方・単価上げ、叔父さんの右にでるものはいません。そんな叔父さんみたいになりたくて、何しろ何でも真似続けました。そんな甲斐もあって、奉公も終わり頃になると、自分だけで売を打てるようになります。すると、不思議と全国どこへ行っても負け知らずで(ありとあらゆるものを売りました!!w)、有名百貨店の催事場ではいくつものギネス記録を叩きました。しかし、本気を出した時の瞬発力は、到底叶わず、どうやったら勝てるのかその後もずっと苦心していたのを覚えています。

 
そんな叔父さんですが、宵越しのお金を持たず儲かったお金は博打で全て使ってしまうので、この世に残したものは、何もありません。しかし、叔父さんの「かっこいい商道」は、当社の行動指針、販売心得、幹部指南でしっかりと生きています。

 
のれん・看板は顔だ、大事にしろ。
腰巻(売り台の化粧布です)をキチッと巻け。
売り場を綺麗に保て。
他人の商売の邪魔をするな。
邪魔されたら徹底抗戦しろ。
挨拶が商売の基本、大きな声で元気よく。
商売は根性、ケッパれ。(=がんばれ。婆ちゃんが福島の会津の生まれだったので、良く言ってました)
等々(他にもたくさんあるのでいつか発表したいですが、長くなるのと細かいので割愛します。)
とても厳しく、照れ屋の叔父さんなので、結局生きてる間一度も褒められたことはありませんでした。(亡くなる日に二人きりになっても、眉間にシワを寄せたまま、あの時と同じようにアゴで命令です。)しかし、10年位前同世代の中で遅れをとって自分の商売が伸び悩んで相談した際、一度だけ言われた言葉はとても嬉しかったので褒め言葉として、心に留めようと思います。

 
「商売の基本の仕込まれ方が違うだろ、お前が負けることはないと思うよ。ケッパれ。」